🕌 ハラール生活

クルアーン(21スーラ)こどもむけ

アラビア語・よみがな・日本語の意味を並べて掲載。各スーラの全アーヤ(節)を収録しています。

さいしょの おいのりالفَاتِحَة

このスーラは まいにち おいのりの なかで よみます。アッラーに ありがとうと いって、ただしい みちを おしえてください と おねがいする スーラです。

بِسْمِ ٱللَّهِ ٱلرَّحْمَـٰنِ ٱلرَّحِيمِ
Bi-smi-llāhi r-raḥmāni r-raḥīm
やさしくて あいのある アッラーの おなまえで はじめます
ٱلْحَمْدُ لِلَّهِ رَبِّ ٱلْعَـٰلَمِينَ
Al-ḥamdu li-llāhi rabbi l-ʿālamīn
すべての ほめことばは アッラーのものです。アッラーは ぜんぶの せかいの おうさまです
ٱلرَّحْمَـٰنِ ٱلرَّحِيمِ
Ar-raḥmāni r-raḥīm
アッラーは とても やさしくて、とても なさけぶかい かたです
مَـٰلِكِ يَوْمِ ٱلدِّينِ
Māliki yawmi d-dīn
さいごの ひに、アッラーだけが すべてを きめます
إِيَّاكَ نَعْبُدُ وَإِيَّاكَ نَسْتَعِينُ
ʾIyyāka naʿbudu wa-ʾiyyāka nastaʿīn
わたしたちは アッラーだけを おがみます。アッラーだけに たすけを もとめます
ٱهْدِنَا ٱلصِّرَٰطَ ٱلْمُسْتَقِيمَ
Ihdinā ṣ-ṣirāṭa l-mustaqīm
ただしい みちに すすめるよう、みちびいて ください
صِرَٰطَ ٱلَّذِينَ أَنْعَمْتَ عَلَيْهِمْ غَيْرِ ٱلْمَغْضُوبِ عَلَيْهِمْ وَلَا ٱلضَّآلِّينَ
Ṣirāṭa lladhīna ʾanʿamta ʿalayhim ghayri l-maghḍūbi ʿalayhim wa-lā ḍ-ḍāllīn
アッラーが よろこぶ ひとたちと おなじ みちに、まよわずに すすめますように

アッラーは ひとりالإخلاص

このスーラは アッラーが ひとりだと おしえてくれます。アッラーには こどもも いないし、おとうさんも いません。アッラーに にているものは なにも ありません。

قُلْ هُوَ ٱللَّهُ أَحَدٌ
Qul huwa llāhu ʾaḥad
アッラーは ひとりだけの かみさまです
ٱللَّهُ ٱلصَّمَدُ
Allāhu ṣ-ṣamad
アッラーは いつまでも かわらない かたです
لَمْ يَلِدْ وَلَمْ يُولَدْ
Lam yalid wa-lam yūlad
アッラーには こどもも いないし、だれかの こどもでも ありません
وَلَمْ يَكُن لَّهُۥ كُفُوًا أَحَدٌ
Wa-lam yakun lahu kufuwan ʾaḥad
アッラーに にているものは なにも ありません

よあけの まもりالفَلَق

このスーラは わるいものから まもってもらう おいのりです。こわいもの、くらやみ、わるい まじないから アッラーに まもってもらいます。

قُلْ أَعُوذُ بِرَبِّ ٱلْفَلَقِ
Qul ʾaʿūdhu bi-rabbi l-falaq
よあけを つくった アッラーに たすけてもらいます
مِن شَرِّ مَا خَلَقَ
Min sharri mā khalaq
アッラーが つくったものの わるいことから まもってください
وَمِن شَرِّ غَاسِقٍ إِذَا وَقَبَ
Wa-min sharri ghāsiqin ʾidhā waqab
よるが くらく なるときの わるいことから まもってください
وَمِن شَرِّ ٱلنَّفَّـٰثَـٰتِ فِى ٱلْعُقَدِ
Wa-min sharri n-naffāthāti fī l-ʿuqad
わるい まじないを する ひとたちから まもってください
وَمِن شَرِّ حَاسِدٍ إِذَا حَسَدَ
Wa-min sharri ḥāsidin ʾidhā ḥasad
ねたむ ひとの わるい きもちから まもってください

にんげんの まもりالنَّاس

このスーラは こころに わるいことを ささやく シャイターンから まもってもらう おいのりです。アッラーは にんげんの おうさまで、まもってくれる かたです。

قُلْ أَعُوذُ بِرَبِّ ٱلنَّاسِ
Qul ʾaʿūdhu bi-rabbi n-nās
にんげんを つくった アッラーに たすけてもらいます
مَلِكِ ٱلنَّاسِ
Maliki n-nās
にんげんの おうさまで ある アッラーに
إِلَـٰهِ ٱلنَّاسِ
ʾIlāhi n-nās
にんげんの かみさまで ある アッラーに
مِن شَرِّ ٱلْوَسْوَاسِ ٱلْخَنَّاسِ
Min sharri l-waswāsi l-khannās
こころに ひそかに わるいことを ささやく ものから まもってください
ٱلَّذِى يُوَسْوِسُ فِى صُدُورِ ٱلنَّاسِ
Alladhī yuwaswisu fī ṣudūri n-nās
にんげんの こころに ささやく もののことです
مِنَ ٱلْجِنَّةِ وَٱلنَّاسِ
Mina l-jinnati wa-n-nās
ジンの なかにも にんげんの なかにも います

じかんは たいせつالعَصر

このスーラは じかんは とても たいせつだと おしえています。しんじて よいことを して、ほんとうのことを つたえて、がまんを おしえあうことが たいせつです。

وَٱلْعَصْرِ
Wa l-ʿaṣr
じかんは とても たいせつなものです
إِنَّ ٱلْإِنسَـٰنَ لَفِى خُسْرٍ
ʾInna l-ʾinsāna lafī khusr
にんげんは まちがった ほうに いきがちです
إِلَّا ٱلَّذِينَ ءَامَنُوا۟ وَعَمِلُوا۟ ٱلصَّـٰلِحَـٰتِ وَتَوَاصَوْا۟ بِٱلْحَقِّ وَتَوَاصَوْا۟ بِٱلصَّبْرِ
ʾIllā lladhīna ʾāmanū wa-ʿamilū ṣ-ṣāliḥāti wa-tawāṣaw bi-l-ḥaqqi wa-tawāṣaw bi-ṣ-ṣabr
でも しんじて よいことを して、ほんとうのことを つたえて、がまんを おしえあう ひとは ちがいます

アッラーから たくさんの おくりものالكَوثَر

アッラーは ムハンマドさまに たくさんの よいものを あたえました。このスーラは アッラーへの おいのりと かんしゃを おしえています。

إِنَّآ أَعْطَيْنَـٰكَ ٱلْكَوْثَرَ
ʾInnā ʾaʿṭaynāka l-kawthar
アッラーは あなたに たくさんの よいものを あたえました
فَصَلِّ لِرَبِّكَ وَٱنْحَرْ
Fa-ṣalli li-rabbika wa-nḥar
だから アッラーの ために おいのりを して、いけにえを ささげましょう
إِنَّ شَانِئَكَ هُوَ ٱلْأَبْتَرُ
ʾInna shāniʾaka huwa l-ʾabtar
あなたを きらう ひとこそ、なにも のこらない ひとです

ぞうの ぐんたいالفِيل

むかし ぞうを つれた ぐんたいが カアバを こわしに きました。でも アッラーが とりを つかって その ぐんたいを たいじしました。アッラーは カアバを まもります。

أَلَمْ تَرَ كَيْفَ فَعَلَ رَبُّكَ بِأَصْحَابِ الْفِيلِ
ʾA-lam tara kayfa faʿala rabbuka bi-ʾaṣḥābi l-fīl
アッラーが ぞうを つれた ぐんたいを どう したか しっていますか?
أَلَمْ يَجْعَلْ كَيْدَهُمْ فِي تَضْلِيلٍ
ʾA-lam yajʿal kaydahum fī taḍlīl
アッラーは そのたくらみを しっぱいさせました
وَأَرْسَلَ عَلَيْهِمْ طَيْرًا أَبَابِيلَ
Wa-ʾarsala ʿalayhim ṭayran ʾabābīl
アッラーは とりの むれを おくりました
تَرْمِيهِم بِحِجَارَةٍ مِّن سِجِّيلٍ
Tarmīhim bi-ḥijāratin min sijjīl
そのとりは かたい いしを なげました
فَجَعَلَهُمْ كَعَصْفٍ مَّأْكُولٍ
Fa-jaʿalahum kaʿaṣfin maʾkūl
その ぐんたいは たべられた ワラのように なりました

クライシュ ぞくへの おくりものقُرَيْش

クライシュぞくは カアバの まわりに すんでいました。アッラーは かれらを まもり、たびが できるように してくれました。だから アッラーに かんしゃして れいはいしましょう。

لِإِيلَافِ قُرَيْشٍ
Li-ʾīlāfi Quraysh
クライシュぞくが あんぜんに たびできるようになったのは
إِيلَافِهِمْ رِحْلَةَ الشِّتَاءِ وَالصَّيْفِ
ʾĪlāfihim riḥlata sh-shitāʾi wa-ṣ-ṣayf
ふゆの たびにも なつの たびにも あんぜんです
فَلْيَعْبُدُوا رَبَّ هَٰذَا الْبَيْتِ
Fa-l-yaʿbudū rabba hādhā l-bayt
だから この カアバの いえの アッラーを れいはいしましょう
الَّذِي أَطْعَمَهُم مِّن جُوعٍ وَآمَنَهُم مِّنْ خَوْفٍ
Alladhī ʾaṭʿamahum min jūʿin wa-ʾāmanahum min khawf
アッラーは かれらを おなかを すかさないように、こわくないように してくれました

ちいさな やさしさالمَاعُون

このスーラは さいごの ひを うそだと いう ひとは、みなしごに つらく あたり、びんぼうな ひとを たすけないと おしえています。ほんとうの おいのりは こころから しないと いけません。

أَرَأَيْتَ الَّذِي يُكَذِّبُ بِالدِّينِ
ʾA-raʾayta lladhī yukadhdhibu bi-d-dīn
さいごの ひを うそだと おもう ひとを しっていますか?
فَذَٰلِكَ الَّذِي يَدُعُّ الْيَتِيمَ
Fa-dhālika lladhī yadaʿʿu l-yatīm
それは みなしごを おいだす ひとです
وَلَا يَحُضُّ عَلَىٰ طَعَامِ الْمِسْكِينِ
Wa-lā yaḥuḍḍu ʿalā ṭaʿāmi l-miskīn
そして びんぼうな ひとに たべものを あたえるように すすめない ひとです
فَوَيْلٌ لِّلْمُصَلِّينَ
Fa-waylun li-l-muṣallīn
けいたいだけの おいのりを する ひとは たいへんです
الَّذِينَ هُمْ عَن صَلَاتِهِمْ سَاهُونَ
Alladhīna hum ʿan ṣalātihim sāhūn
おいのりを いいかげんに する ひとたちのことです
الَّذِينَ هُمْ يُرَاءُونَ
Alladhīna hum yurāʾūn
ひとに みせるためだけに よいことを する ひとたちのことです
وَيَمْنَعُونَ الْمَاعُونَ
Wa-yamnaʿūna l-māʿūn
そして ちいさな やさしさも ことわる ひとたちのことです

アブー・ラハブの しっぱいالمَسَد

アブー・ラハブは ムハンマドさまを きらって、イスラームを じゃました ひとです。おかねは かれを たすけることが できませんでした。

تَبَّتْ يَدَا أَبِي لَهَبٍ وَتَبَّ
Tabbat yadā ʾabī lahabin wa-tabb
アブー・ラハブは だいなしに なりました
مَا أَغْنَىٰ عَنْهُ مَالُهُ وَمَا كَسَبَ
Mā ʾaghnā ʿanhu māluhu wa-mā kasab
おかねも かれを たすけることは できません
سَيَصْلَىٰ نَارًا ذَاتَ لَهَبٍ
Sa-yaṣlā nāran dhāta lahab
かれは もえる ほのおの ひに いれられます
وَامْرَأَتُهُ حَمَّالَةَ الْحَطَبِ
Wa-mraʾatuhu ḥammālata l-ḥaṭab
かれの おくさんも おなじです。たきぎを はこぶ ひとです
فِي جِيدِهَا حَبْلٌ مِّن مَّسَدٍ
Fī jīdihā ḥablun min masad
かれの おくさんの くびに なわが かかっています

アッラーの おたすけالنَّصْر

このスーラは イスラームが かったあとの ことを おしえています。かちを えたあとは アッラーを ほめて、ゆるしてください と おいのりしましょう。

إِذَا جَاءَ نَصْرُ اللَّهِ وَالْفَتْحُ
ʾIdhā jāʾa naṣru llāhi wa-l-fatḥ
アッラーの おたすけが きて、かちが えられたとき
وَرَأَيْتَ النَّاسَ يَدْخُلُونَ فِي دِينِ اللَّهِ أَفْوَاجًا
Wa-raʾayta n-nāsa yadkhulūna fī dīni llāhi ʾafwājā
たくさんの ひとたちが アッラーの みちに はいってくるのを みたとき
فَسَبِّحْ بِحَمْدِ رَبِّكَ وَاسْتَغْفِرْهُ ۚ إِنَّهُ كَانَ تَوَّابًا
Fa-sabbiḥ bi-ḥamdi rabbika wa-staghfirh, ʾinnahu kāna tawwābā
アッラーを たたえて、ゆるしてください と おいのりしましょう。アッラーは いつも ゆるしてくれます

おおじしんの ひالزَّلْزَلَة

このスーラは さいごの ひ、おおきな じしんが おきて、ちきゅうが すべてを あらわすことを おしえています。ちいさな よいことも わるいことも ぜんぶ みえます。

إِذَا زُلْزِلَتِ الْأَرْضُ زِلْزَالَهَا
ʾIdhā zulzilati l-ʾarḍu zilzālahā
ちきゅうが おおきく ゆれる とき
وَأَخْرَجَتِ الْأَرْضُ أَثْقَالَهَا
Wa-ʾakhrajati l-ʾarḍu ʾathqālahā
ちきゅうが なかに かくしていたものを ぜんぶ だすとき
وَقَالَ الْإِنسَانُ مَا لَهَا
Wa-qāla l-ʾinsānu mā lahā
にんげんが「いったい なにごとだ?」と いう とき
يَوْمَئِذٍ تُحَدِّثُ أَخْبَارَهَا
Yawmaʾidhin tuḥaddithu ʾakhbārahā
そのひ、ちきゅうは すべてを はなします
بِأَنَّ رَبَّكَ أَوْحَىٰ لَهَا
Bi-ʾanna rabbaka ʾawḥā lahā
アッラーが そう めいじたからです
يَوْمَئِذٍ يَصْدُرُ النَّاسُ أَشْتَاتًا لِّيُرَوْا أَعْمَالَهُمْ
Yawmaʾidhin yaṣduru n-nāsu ʾashtātan li-yuraw ʾaʿmālahum
そのひ、ひとびとは じぶんの したことを みせられます
فَمَن يَعْمَلْ مِثْقَالَ ذَرَّةٍ خَيْرًا يَرَهُ
Fa-man yaʿmal mithqāla dharratin khayran yarah
ちいさな よいことを した ひとは、それを みます
وَمَن يَعْمَلْ مِثْقَالَ ذَرَّةٍ شَرًّا يَرَهُ
Wa-man yaʿmal mithqāla dharratin sharran yarah
ちいさな わるいことを した ひとも、それを みます

はしる うまالعَادِيَات

このスーラは はしる うまを たとえにして、にんげんが アッラーに かんしゃしないことを おしえています。さいごの ひに こころの なかが すべて しられます。

وَالْعَادِيَاتِ ضَبْحًا
Wa-l-ʿādiyāti ḍabḥā
はあはあと いきを して はしる うまに ちかいます
فَالْمُورِيَاتِ قَدْحًا
Fa-l-mūriyāti qadḥā
ひづめから ひばなを だす うまに
فَالْمُغِيرَاتِ صُبْحًا
Fa-l-mughīrāti ṣubḥā
あさに とっしんする うまに
فَأَثَرْنَ بِهِ نَقْعًا
Fa-ʾatharna bihi naqʿā
ほこりを まきちらす うまに
فَوَسَطْنَ بِهِ جَمْعًا
Fa-wasaṭna bihi jamʿā
まんなかに とびこむ うまに
إِنَّ الْإِنسَانَ لِرَبِّهِ لَكَنُودٌ
ʾInna l-ʾinsāna li-rabbihi la-kanūd
にんげんは アッラーに かんしゃしません
وَإِنَّهُ عَلَىٰ ذَٰلِكَ لَشَهِيدٌ
Wa-ʾinnahu ʿalā dhālika la-shahīd
じぶんが かんしゃしていないのを しっています
وَإِنَّهُ لِحُبِّ الْخَيْرِ لَشَدِيدٌ
Wa-ʾinnahu li-ḥubbi l-khayri la-shadīd
おかねが とても すきなのです
أَفَلَا يَعْلَمُ إِذَا بُعْثِرَ مَا فِي الْقُبُورِ
ʾA-fa-lā yaʿlamu ʾidhā buʿthira mā fī l-qubūr
おはかの なかが あらわれるとき しらないのですか?
وَحُصِّلَ مَا فِي الصُّدُورِ
Wa-ḥuṣṣila mā fī ṣ-ṣudūr
こころの なかが すべて みえるとき
إِنَّ رَبَّهُم بِهِمْ يَوْمَئِذٍ لَّخَبِيرٌ
ʾInna rabbahum bihim yawmaʾidhin la-khabīr
そのひ アッラーは ぜんぶ しっています

おおきな しょうげきの ひالقَارِعَة

このスーラは さいごの ひ、すべてが かわることを おしえています。よいことを おおく した ひとは しあわせです。わるいことが おおかった ひとは たいへんです。

الْقَارِعَةُ
Al-qāriʿah
おおきな しょうげきの ひ
مَا الْقَارِعَةُ
Mā l-qāriʿah
おおきな しょうげきの ひとは なんでしょうか?
وَمَا أَدْرَاكَ مَا الْقَارِعَةُ
Wa-mā ʾadrāka mā l-qāriʿah
それが なんなのか、あなたに わかりますか?
يَوْمَ يَكُونُ النَّاسُ كَالْفَرَاشِ الْمَبْثُوثِ
Yawma yakūnu n-nāsu ka-l-farāshi l-mabthūth
にんげんが ちりのように ちりぢりに なる ひ
وَتَكُونُ الْجِبَالُ كَالْعِهْنِ الْمَنفُوشِ
Wa-takūnu l-jibālu ka-l-ʿihni l-manfūsh
やまが ふんわりした けのように なる ひ
فَأَمَّا مَن ثَقُلَتْ مَوَازِينُهُ
Fa-ʾammā man thaqulat mawāzīnuh
よいことが おもかった ひとは
فَهُوَ فِي عِيشَةٍ رَّاضِيَةٍ
Fa-huwa fī ʿīshatin rāḍiyah
しあわせな せいかつを おくります
وَأَمَّا مَنْ خَفَّتْ مَوَازِينُهُ
Wa-ʾammā man khaffat mawāzīnuh
でも よいことが かるかった ひとは
فَأُمُّهُ هَاوِيَةٌ
Fa-ʾummuhu hāwiyah
ふかい あなに おちます
وَمَا أَدْرَاكَ مَا هِيَهْ
Wa-mā ʾadrāka mā hiyah
それが なんなのか、わかりますか?
نَارٌ حَامِيَةٌ
Nārun ḥāmiyah
もえる ほのおです

たくさん あつめることに まけないでالتَّكَاثُر

このスーラは もっとたくさん、もっとたくさんと あつめることに まけてしまう にんげんのことを おしえています。さいごの ひには、たのしかったことを ぜんぶ ときただされます。

أَلْهَاكُمُ التَّكَاثُرُ
ʾAlhākumu t-takāthur
たくさん もつことへの きょうそうが みなさんを まよわせます
حَتَّىٰ زُرْتُمُ الْمَقَابِرَ
Ḥattā zurtumu l-maqābir
おはかに はいるまで ずっと まよっています
كَلَّا سَوْفَ تَعْلَمُونَ
Kallā sawfa taʿlamūn
でも やがて しります
ثُمَّ كَلَّا سَوْفَ تَعْلَمُونَ
Thumma kallā sawfa taʿlamūn
そして また かならず しります
كَلَّا لَوْ تَعْلَمُونَ عِلْمَ الْيَقِينِ
Kallā law taʿlamūna ʿilma l-yaqīn
もし ほんとうに しっていたなら
لَتَرَوُنَّ الْجَحِيمَ
La-tarawunna l-jaḥīm
かならず じごくの ひを みるでしょう
ثُمَّ لَتَرَوُنَّهَا عَيْنَ الْيَقِينِ
Thumma la-tarawunnahā ʿayna l-yaqīn
そして じぶんの めで はっきりと みるでしょう
ثُمَّ لَتُسْأَلُنَّ يَوْمَئِذٍ عَنِ النَّعِيمِ
Thumma la-tusʾalunna yawmaʾidhin ʿani n-naʿīm
そのひ、たのしかったことを かならず ときただされます

ひとの かげぐちを いわないでالهُمَزَة

このスーラは ひとの かげぐちを いったり、あざわらったりする ひとへの けいこくです。おかねを ためても、そのひとを まもることは できません。

وَيْلٌ لِّكُلِّ هُمَزَةٍ لُّمَزَةٍ
Waylun li-kulli humazatin lumazah
ひとの かげぐちを いったり、あざわらう ひとは たいへんです
الَّذِي جَمَعَ مَالًا وَعَدَّدَهُ
Alladhī jamaʿa mālan wa-ʿaddadah
おかねを あつめて かぞえて たくわえる ひとです
يَحْسَبُ أَنَّ مَالَهُ أَخْلَدَهُ
Yaḥsabu ʾanna mālahu ʾakhladah
おかねが じぶんを しなせないと おもっている ひとです
كَلَّا ۖ لَيُنبَذَنَّ فِي الْحُطَمَةِ
Kallā la-yunbadhanna fī l-ḥuṭamah
いや!かならず こわす ところに おとされます
وَمَا أَدْرَاكَ مَا الْحُطَمَةُ
Wa-mā ʾadrāka mā l-ḥuṭamah
こわす ところとは なんでしょうか?
نَارُ اللَّهِ الْمُوقَدَةُ
Nāru llāhi l-mūqadah
それは もえつづける アッラーの ひです
الَّتِي تَطَّلِعُ عَلَى الْأَفْئِدَةِ
Allatī taṭṭaliʿu ʿalā l-ʾafʾidah
こころの おくまで もえる ほのおです
إِنَّهَا عَلَيْهِم مُّؤْصَدَةٌ
ʾInnahā ʿalayhim muʾṣadah
そのひは かれらを おおいつくします
فِي عَمَدٍ مُّمَدَّدَةٍ
Fī ʿamadin mumaddadah
のびた はしらの なかに

あさの ひかりالضُّحَى

アッラーは ムハンマドさまに「あなたを すてていない」と おしえた スーラです。みなしごの ときも まずしい ときも、アッラーが たすけてくれました。やさしく してあげましょう。

وَالضُّحَىٰ
Wa-ḍ-ḍuḥā
あさの ひかりに ちかいます
وَاللَّيْلِ إِذَا سَجَىٰ
Wa-l-layli ʾidhā sajā
しずかな よるに ちかいます
مَا وَدَّعَكَ رَبُّكَ وَمَا قَلَىٰ
Mā waddaʿaka rabbuka wa-mā qalā
アッラーは あなたを すてて いません。いやでも ありません
وَلَلْآخِرَةُ خَيْرٌ لَّكَ مِنَ الْأُولَىٰ
Wa-la-l-ʾākhiratu khayrun laka mina l-ʾūlā
あとの せかいは いまより ずっと よいです
وَلَسَوْفَ يُعْطِيكَ رَبُّكَ فَتَرْضَىٰ
Wa-la-sawfa yuʿṭīka rabbuka fa-tarḍā
アッラーは あなたに あたえてくれます。あなたは まんぞくします
أَلَمْ يَجِدْكَ يَتِيمًا فَآوَىٰ
ʾA-lam yajidka yatīman fa-ʾāwā
あなたが みなしごの とき、アッラーが まもってくれました
وَوَجَدَكَ ضَالًّا فَهَدَىٰ
Wa-wajadaka ḍāllan fa-hadā
あなたが まよっている とき、アッラーが みちびいてくれました
وَوَجَدَكَ عَائِلًا فَأَغْنَىٰ
Wa-wajadaka ʿāʾilan fa-ʾaghnā
あなたが まずしい とき、アッラーが ゆたかに してくれました
فَأَمَّا الْيَتِيمَ فَلَا تَقْهَرْ
Fa-ʾammā l-yatīma fa-lā taqhar
だから みなしごに つらく あたらないで ください
وَأَمَّا السَّائِلَ فَلَا تَنْهَرْ
Wa-ʾammā s-sāʾila fa-lā tanhar
たすけを もとめる ひとを ことわらないで ください
وَأَمَّا بِنِعْمَةِ رَبِّكَ فَحَدِّثْ
Wa-ʾammā bi-niʿmati rabbika fa-ḥaddith
アッラーの めぐみを はなしてください

むねが ひろく なるالشَّرْح

アッラーは ムハンマドさまの こころを ひろく して、おもい にもつを おろして、なまえを たかくして くれました。くるしみの あとには かならず らくが きます。

أَلَمْ نَشْرَحْ لَكَ صَدْرَكَ
ʾA-lam nashraḥ laka ṣadrak
アッラーは あなたの こころを ひろく してくれなかったですか?
وَوَضَعْنَا عَنكَ وِزْرَكَ
Wa-waḍaʿnā ʿanka wizrak
おもい にもつを おろしてくれました
الَّذِي أَنقَضَ ظَهْرَكَ
Alladhī ʾanqaḍa ẓahrak
あなたを おもく していた にもつを
وَرَفَعْنَا لَكَ ذِكْرَكَ
Wa-rafaʿnā laka dhikrak
そして あなたの なまえを たかくしてくれました
فَإِنَّ مَعَ الْعُسْرِ يُسْرًا
Fa-ʾinna maʿa l-ʿusri yusrā
くるしいことの あとには かならず らくが きます
إِنَّ مَعَ الْعُسْرِ يُسْرًا
ʾInna maʿa l-ʿusri yusrā
くるしいことの あとには かならず らくが きます
فَإِذَا فَرَغْتَ فَانصَبْ
Fa-ʾidhā faraghta fa-nṣab
だから おわったら おいのりに はげみなさい
وَإِلَىٰ رَبِّكَ فَارْغَب
Wa-ʾilā rabbika fa-rghab
そして アッラーに こころを むけなさい

いちじくと オリーブالتِّين

アッラーは にんげんを いちばん よい すがたで つくりました。でも しんじて よいことを しないと、いちばん ひくい ところに いきます。アッラーは さいこうの さばきびとです。

وَالتِّينِ وَالزَّيْتُونِ
Wa-t-tīni wa-z-zaytūn
いちじくと オリーブに ちかいます
وَطُورِ سِينِينَ
Wa-ṭūri sīnīn
シナイさんに ちかいます
وَهَٰذَا الْبَلَدِ الْأَمِينِ
Wa-hādhā l-baladi l-ʾamīn
あんぜんな まち(マッカ)に ちかいます
لَقَدْ خَلَقْنَا الْإِنسَانَ فِي أَحْسَنِ تَقْوِيمٍ
La-qad khalaqnā l-ʾinsāna fī ʾaḥsani taqwīm
アッラーは にんげんを いちばん よい すがたで つくりました
ثُمَّ رَدَدْنَاهُ أَسْفَلَ سَافِلِينَ
Thumma radadnāhu ʾasfala sāfilīn
でも あとで いちばん ひくい ところに もどります
إِلَّا الَّذِينَ آمَنُوا وَعَمِلُوا الصَّالِحَاتِ فَلَهُمْ أَجْرٌ غَيْرُ مَمْنُونٍ
ʾIllā lladhīna ʾāmanū wa-ʿamilū ṣ-ṣāliḥāti fa-lahum ʾajrun ghayru mamnūn
ただし しんじて よいことを した ひとは のぞきます。かれらには ずっと よいことが あります
فَمَا يُكَذِّبُكَ بَعْدُ بِالدِّينِ
Fa-mā yukadhdhibuka baʿdu bi-d-dīn
それでも どうして さいごの ひを うそだと いうのですか?
أَلَيْسَ اللَّهُ بِأَحْكَمِ الْحَاكِمِينَ
ʾA-laysa llāhu bi-ʾaḥkami l-ḥākimīn
アッラーは いちばん ただしく さばく かたです

よめ! アッラーの おなまえでالعَلَق

このスーラは はじめて ムハンマドさまに くだされた スーラです。アッラーは「よめ」と めいじました。アッラーは にんげんに ちしきを おしえてくれます。

اقْرَأْ بِاسْمِ رَبِّكَ الَّذِي خَلَقَ
ʾIqraʾ bi-smi rabbika lladhī khalaq
アッラーの おなまえで よみなさい。アッラーは すべてを つくりました
خَلَقَ الْإِنسَانَ مِنْ عَلَقٍ
Khalaqa l-ʾinsāna min ʿalaq
にんげんを けつえきの かたまりから つくりました
اقْرَأْ وَرَبُّكَ الْأَكْرَمُ
ʾIqraʾ wa-rabbuka l-ʾakram
よみなさい。アッラーは とても こころが ひろいです
الَّذِي عَلَّمَ بِالْقَلَمِ
Alladhī ʿallama bi-l-qalam
ペンで おしえてくれました
عَلَّمَ الْإِنسَانَ مَا لَمْ يَعْلَمْ
ʿAllama l-ʾinsāna mā lam yaʿlam
にんげんの しらなかったことを おしえてくれました

カドルの よるالقَدْر

カドルの よるは ラマダンの さいご 10にちの なかにあります。この よる 1かい おいのりすると、1000かげつの おいのりより よいです。とくべつな よるです。

إِنَّا أَنزَلْنَاهُ فِي لَيْلَةِ الْقَدْرِ
ʾInnā ʾanzalnāhu fī laylati l-qadr
アッラーは カドルの よるに クルアーンを おくりました
وَمَا أَدْرَاكَ مَا لَيْلَةُ الْقَدْرِ
Wa-mā ʾadrāka mā laylatu l-qadr
カドルの よるとは なんでしょうか?
لَيْلَةُ الْقَدْرِ خَيْرٌ مِّنْ أَلْفِ شَهْرٍ
Laylatu l-qadri khayrun min ʾalfi shahr
カドルの よるは 1000かげつ よりも よいです
تَنَزَّلُ الْمَلَائِكَةُ وَالرُّوحُ فِيهَا بِإِذْنِ رَبِّهِم مِّن كُلِّ أَمْرٍ
Tanazzalu l-malāʾikatu wa-r-rūḥu fīhā bi-ʾidhni rabbihim min kulli ʾamr
てんしたちが アッラーの おゆるしを えて、その よるに くだってきます
سَلَامٌ هِيَ حَتَّىٰ مَطْلَعِ الْفَجْرِ
Salāmun hiya ḥattā maṭlaʿi l-fajr
よあけが くるまで へいわな よるです
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